2026年08月

玉村豊男さんの訃報に触れ、呆然としています。なんだかこの時代に一つの穴が空いてしまったような空虚感を覚えます。今もまだ、あの笑い声が聞こえてくるようです。

本当に素敵な方でした。作家であり、画家であり、起業家であり、グローバルで自由な発想の彼の生き方は素敵だと、多くの人のロールモデルでした。

母のいとこ、という親戚関係なので、小さい時から玉村さんの話はよく聞いていました。玉村さんは親戚みんなの自慢でした。お父様は、著名な日本画家、玉村方久斗さん。その血をひく豊男さんも絵が上手で、小学生の絵日記でお祭りの神輿を斜め上からの構図で描いていたんだよと、親戚は誰もが誇らしげに話してくれました。

私個人は、1987年、テレビ朝日「ニュースステーション」のレポーターに採用された時に、そのご報告に、玉村さんの収録現場まで伺ったのが、直接お会いした初めての時でした。彼の番組控え室になっていたホテルの部屋に、突然ノックして、「私、佐々木かをりと言います、あなたの親戚です」って押しかけたのです。後日、玉村さんは「突然、ホテルの部屋に美女がやってきて驚いたよ」と笑っていらっしゃいました。

福留さんがキャスターをされていたTBS「ブロードキャスター」では、玉村さんも私もコメンテータとして出演していましたが、一度も同じ週になったことがなかったので、いつか同じ日の出演になったら「私たち親戚ですって言おうね」などとおっしゃってましたっけ。

イー・ウーマンを設立でも円卓会議の議長として登場してくださったり、国際女性ビジネス会議にご登壇くださったり、いつも温かく応援してくださいました。

彼は、長野県東御市の千曲川を見下ろす高台で、何もない荒れ果てた山を見た時、「ここはフランスのブドウ畑のような美しい景色になる場所だな。ブドウを植えて、ワインを造ってみよう」と、直感的に決めた、ということです。45歳の彼は、水すら通っていない過酷な山を10年くらいかけて、自分の手で山を切り開き、土地を耕し、お水を引いてくるという開拓を続け、ヴィラデストワイナリーを作ったのです。

私は、ヴィラデストの立ち上げの時のファウンディングメンバーとなり、母と私の名前でブドウの木と、メンバープレートに名前を刻んでもらいました。母がとても嬉しそうでした。

たくさんの思い出がありすぎて、実は、「対談」もしているのですが、まだ公開していなかったので、玉村さんのことはこれから少しずつ書こうと思います。

昨年2025年9月には、娘を連れてヴィラデストを訪れたのですが、その時に久しぶりに会った娘に、「大きくなったねー」と言いながら、玉村さんは1時間くらい、ご自身の生い立ちや人生観を話してくださいました。とてもとても貴重な時間、話の内容でした。

私は、先月、7月5日に、お会いしたのが最後でした。
とても体調が悪いと知っていましたが、私と会った時は、アメリカの野球 MLBを観ていたかな。そして笑顔で、いつもと変わらないような元気な声で、楽しい会話をしてくださいました。

ちょっと、書ききれません。
私の家中に、玉村さんの絵がたくさんあります。これからも私の生活を素敵に彩ってくれます。
玉村さんとの対談などは、今度、何かの形にまとめて発表したいと思います。とても大切な方でした。

心からお悔やみを申し上げます。本当に、本当に、ありがとうございました。
今頃天国で、玉村さんが、私の両親や親戚と、ワインを飲みながら、リラックスしてくださっていることを祈ります。

そして玉村さんが素敵な人でい続けられたのは、パートナーの抄恵子さんの存在があったからです。私の憧れの女性でもある抄恵子さんが、これからも笑顔でいてくださることを心から願います。もちろんヴィラデストが、これからも人が集まり、楽しみ、心が休まる場所であり続けますように。
大好きな玉村さんへ。

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30年前に集まっていた起業家仲間から「久しぶりに、集まらない?」と声をかけていただき、6人男子、私1人女子、という7名での食事会に参加しました。楽しかったー!

あまりに久しぶりなので、一人ずつ「近況報告」をしましたが、現役で仕事に集中して企業成長を続けている人と、たくさんの財産を持ちすでにリタイアをしている人などいろいろ。でも言えることは、この男子6名は、全員が起業した会社を大きく成長させ、経済的に大成功し、そのストーリーが「すごい」ということです。

仕事へのとりくみ方、稼ぎ方、企業規模拡大への歩み方など、本当に良い刺激となりました。仲間と呼ばせていただいて良いのかわかりませんが、この人たちと30年前は一緒に歩み始め、学習していたんだな、と思うと、30年の人生の歩み方で本当に違いが出てくるんだな、、、と思いました。

7人で割り勘のはずが、あまりの違いに気遣ってくれたのか「今日は男子で払うから、佐々木さんは払わなくていいよ」と言われてしまいご馳走になる始末。いやいや、このくらい払います、と言ったけど、桁違いの状況ということで、ご馳走になってしまいました。私も、もう少し稼がなきゃね。

刺激を受けたから、私も頑張らなきゃと起業した息子に話したら、「でもお母さんは、社会にたくさんのプラスのインパクトを残してきたよ」と言ってくれました(涙)。
はい、でも、これからもう少し、成長させていきます。

また来年会おうね、ということになりました。来年は、せめて割り勘にしてもらえるように、頑張ろう。

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もう40年以上前!の20代前半、私は、フォスタープラン、現在のプランインターナショナル、に登録して、海外の子どもの支援を始めました。支援というより、つながりを持つ、ことを始めました。

大学を出たばかりの私は、「どうしたら戦争が起きないで済むのだろうか」と考えた時に、「そうだ!文通ネットワークを作ればいいんだ。自分の大切な友達が住む場所には攻撃なんかしないはずだから、世界中の人たちが、他の国の人たちと友達としてつながる網ができれば良いんだ。私、世界の文通ネットワークを作ろう!」と思ったのです。

なんでもすぐに、作ろう!と思ってしまう私が、その日なのか、それから2-3日後なのか、新聞の1面広告を見つけました。

フォスタープラン(当時)。毎月5000円を寄付すると、支援を求める子どもとマッチングしてくれて、文通をさせてくれる。私がその子の「フォスターペアレント」になり、そこ子が「フォスターチャイルド」となる。そして、私の寄付金の80%はその子の住む地域に使われ、20%がフォスタープランの事務経費。その子に現金が行くのではなく、現地の担当者が、その子どもの住むエリアに必要な資金の使い方をしてくれる。例えば学校や端や病院や。その子を頻繁に訪問してくれて、手紙を届けてくれる。年1回は、写真付きでその子の家族のことも報告してくれる。・・・その子だけ恵まれるということではなく、その地域の生活の質を向上するために動いてくれる。そして、そのことは、事務所を通じて自由に文通ができるのだけれど、物を送ってはいけない。バースデイやクリスマスのカードなら良いけれど、その子だけが地域で目立つことがないように。

このプログラムの目的は「その子が、その土地で学び、自立して行くことを支援する」ということ。

だから、その子に何かをするというより、その子の意欲を手紙を通じて後押ししたり、その子の住むエリアを支援したり。そして、その子が18歳になったり、それより前でもその地域が発展すると、終了して、次の子どもを選ぶことになります。

感動しました。「なんだ、私が作らなくても、こんなすごいプログラムがあるじゃない!」。このプログラムの仕組み、全部好きでした。

そしてすぐ申し込みをしてフォスターペアレントになりました。会員番号が2000番台。あれからもう42年以上、毎月の寄付を続けています。イー・ウーマンも会社として、一人サポートさせていただいてきました。

家賃3万円の公団住宅に住んでいた大学出たばかりの私でしたが、この毎月の5000円は、私が寄付をしているというより、その子とのつながりでした。本当に嬉しかった。

最初の女の子はフィリピンに住むMelbaちゃんでした。初めて写真を見た時は涙が出ました。そして、東京の暮らしの写真を送るのは良いのかな、なんだか、近代的な街の写真を送るのはダメかな、などと考えたけれど、でも、全部を見せることも私の役割かな、と、東京の写真、富士山や日本の綺麗な写真、海外に行った時は各地の絵葉書を買ってきて、たくさん送りました。いろんな世界を見て欲しかったから。そして、何年か経って彼女が18歳になり、このフォスタープランから卒業していくときに、彼女が、「いつか私もフォスターペアレントのかをりさんのように、仕事をしてビジネスウーマンになりたい」と手紙で書いてきてくれました。涙が出ました。

あれから、世界各地の子どもたちを何人もサポートしてきました。あまり手紙を書くことができない時期もあったけど、また今のチャイルド、ローズちゃん、とやりとりが始まりました。

私たちは「どうお金を使うのか」も大切ですが、それ以上に、「どう人とつながるのか」「どう自分を広げるのか」が大切な気がします。そしてこうして、長い期間「手紙」で人と繋がり、支え合い、学び合うことは、成長と平和に、つながるのかな、と思います。

私が国際女性ビジネス会議でマッチングスポンサーを作ったり、イー・ウーマン義援金を立ち上げたときも、きっとこの体験が私の中にあって、ただお金を出すのではなく、人と人のつながりを作りたかったのかな、と、今思いました。

今は、プランインターナショナルという名称です。今サイトを見たら、女の子だけの支援に変更したのかな? でもよかったら、というか、ぜひ、あなたも、誰かと繋がってください。
ちょうど、ローズちゃんからの、手紙が届いたので、書いてみました。

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熊本の大地震もあり、台風が次から次へと接近。今までにない動き。そして雷雨、線状降水帯・・・。レベル5大雨特別警報(浸水害)、命に関わる警報、とテレビ報道では、注意喚起が続いています。

本当に気をつけて欲しいですし、今の報道はとても具体的に提案してくれるので役立つのですが、でも私は、なるべく「気をつけて」を言わないように工夫しようとしてきました。

というのは、ほとんどの人は日常的に「気をつけて」いるのではないかな、と思うのです。「安全を確保して」というのも、きっとほとんどの人は、「安全な場所にいる」と思って暮らしているのだろうと思うのです。その上、それぞれの人の「気をつけて」の意識レベルが違います。

子どもが小さかった時、「気をつけてね」と言いませんでした。
電車のホームにいる時には、
「もし、ここで突き落とされてホームから落ちたらどうする?」と、落ちた時にどこに逃げると良いかを、いくつもの駅で考えさせました。ホームの下に空間があるからそこに逃げるといいとか、この駅は、線路の向こう側にスペースがあるから、あそこに逃げればいいとか。

「では、ホームでは、どこに立っていると安全だと思う?」とも聞きました。
柱や壁を背にして立てば、後ろから突き落とされる可能性が少ないだろうと教えました。

「駅の階段を降りる時はどこを歩いたらいいかな?」
これは、誰かが転んで一緒に落ちるといけないから、端の手すりがあるところを歩くといいね、と教えました。

「道で怖い目にあったらどうしたらいい?」とも聞きました。
どの店でもいいから、飛び込んで助けを求める。お店がなかったらどの家でもいいから、ベルを押して助けを求める。

・・ただ「気をつけてね」と言わず、何を気にして、どうしたら良いかを考えさせ、一緒に考え、具体的提案をしてきました。

地震などには対応できるように、笛やアルミブランケットは日常的に持ち歩いていますが、洪水、水害についての具体的な対応も、具体的にしていきましょう。

きっと誰もが「安全な場所」と思うところに今もいるのだと思います。でも、安全ではないかも。最悪のケースを想定して、具体的な行動準備をしていきましょう。

J-Waveのポッドキャスト「皆藤愛子のFIELD NOTE」の第1回ゲストとしてお招きいただきました。光栄なことです。

六本木ヒルズのJ-Waveのスタジオ、とっても久しぶりに伺いました!今回の、番組は「〜人に出会い、その言葉を記録する〜日本の経営者や、時代を切り拓くクリエイターをゲストにお迎えしてその歩みを紐解きながら、仕事にかける情熱や、プロジェクトの舞台裏、そして、次なる挑戦への思いを伺います」なんてことですが、その1回目とは、嬉しいことです。

皆藤さんは、私がフジテレビの「とくダネ!」や「グッデイ」「イット!」のコメンテータとして出演していた頃など、お天気キャスターとして画面拝見することが多かったので、初めてお会いしたと思えませんでした。とても好奇心の強い素敵な方でした!

20分程度ですのでとても短いですが、これまでの仕事のことや、ダイバーシティの本質のことなど、勢いよく?お話ししました。直前の会議を終えて、スタジオに飛び込んですぐに出演!ということでしたが、楽しかった! 是非、聴いてください。
こちらから>>>
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