玉村豊男さんの訃報に触れ、呆然としています。なんだかこの時代に一つの穴が空いてしまったような空虚感を覚えます。今もまだ、あの笑い声が聞こえてくるようです。
本当に素敵な方でした。作家であり、画家であり、起業家であり、グローバルで自由な発想の彼の生き方は素敵だと、多くの人のロールモデルでした。
母のいとこ、という親戚関係なので、小さい時から玉村さんの話はよく聞いていました。玉村さんは親戚みんなの自慢でした。お父様は、著名な日本画家、玉村方久斗さん。その血をひく豊男さんも絵が上手で、小学生の絵日記でお祭りの神輿を斜め上からの構図で描いていたんだよと、親戚は誰もが誇らしげに話してくれました。
私個人は、1987年、テレビ朝日「ニュースステーション」のレポーターに採用された時に、そのご報告に、玉村さんの収録現場まで伺ったのが、直接お会いした初めての時でした。彼の番組控え室になっていたホテルの部屋に、突然ノックして、「私、佐々木かをりと言います、あなたの親戚です」って押しかけたのです。後日、玉村さんは「突然、ホテルの部屋に美女がやってきて驚いたよ」と笑っていらっしゃいました。
福留さんがキャスターをされていたTBS「ブロードキャスター」では、玉村さんも私もコメンテータとして出演していましたが、一度も同じ週になったことがなかったので、いつか同じ日の出演になったら「私たち親戚ですって言おうね」などとおっしゃってましたっけ。
イー・ウーマンを設立でも円卓会議の議長として登場してくださったり、国際女性ビジネス会議にご登壇くださったり、いつも温かく応援してくださいました。
彼は、長野県東御市の千曲川を見下ろす高台で、何もない荒れ果てた山を見た時、「ここはフランスのブドウ畑のような美しい景色になる場所だな。ブドウを植えて、ワインを造ってみよう」と、直感的に決めた、ということです。45歳の彼は、水すら通っていない過酷な山を10年くらいかけて、自分の手で山を切り開き、土地を耕し、お水を引いてくるという開拓を続け、ヴィラデストワイナリーを作ったのです。
私は、ヴィラデストの立ち上げの時のファウンディングメンバーとなり、母と私の名前でブドウの木と、メンバープレートに名前を刻んでもらいました。母がとても嬉しそうでした。
たくさんの思い出がありすぎて、実は、「対談」もしているのですが、まだ公開していなかったので、玉村さんのことはこれから少しずつ書こうと思います。
昨年2025年9月には、娘を連れてヴィラデストを訪れたのですが、その時に久しぶりに会った娘に、「大きくなったねー」と言いながら、玉村さんは1時間くらい、ご自身の生い立ちや人生観を話してくださいました。とてもとても貴重な時間、話の内容でした。
私は、先月、7月5日に、お会いしたのが最後でした。
とても体調が悪いと知っていましたが、私と会った時は、アメリカの野球 MLBを観ていたかな。そして笑顔で、いつもと変わらないような元気な声で、楽しい会話をしてくださいました。
ちょっと、書ききれません。
私の家中に、玉村さんの絵がたくさんあります。これからも私の生活を素敵に彩ってくれます。
玉村さんとの対談などは、今度、何かの形にまとめて発表したいと思います。とても大切な方でした。
心からお悔やみを申し上げます。本当に、本当に、ありがとうございました。
今頃天国で、玉村さんが、私の両親や親戚と、ワインを飲みながら、リラックスしてくださっていることを祈ります。
そして玉村さんが素敵な人でい続けられたのは、パートナーの抄恵子さんの存在があったからです。私の憧れの女性でもある抄恵子さんが、これからも笑顔でいてくださることを心から願います。もちろんヴィラデストが、これからも人が集まり、楽しみ、心が休まる場所であり続けますように。
大好きな玉村さんへ。





本当に素敵な方でした。作家であり、画家であり、起業家であり、グローバルで自由な発想の彼の生き方は素敵だと、多くの人のロールモデルでした。
母のいとこ、という親戚関係なので、小さい時から玉村さんの話はよく聞いていました。玉村さんは親戚みんなの自慢でした。お父様は、著名な日本画家、玉村方久斗さん。その血をひく豊男さんも絵が上手で、小学生の絵日記でお祭りの神輿を斜め上からの構図で描いていたんだよと、親戚は誰もが誇らしげに話してくれました。
私個人は、1987年、テレビ朝日「ニュースステーション」のレポーターに採用された時に、そのご報告に、玉村さんの収録現場まで伺ったのが、直接お会いした初めての時でした。彼の番組控え室になっていたホテルの部屋に、突然ノックして、「私、佐々木かをりと言います、あなたの親戚です」って押しかけたのです。後日、玉村さんは「突然、ホテルの部屋に美女がやってきて驚いたよ」と笑っていらっしゃいました。
福留さんがキャスターをされていたTBS「ブロードキャスター」では、玉村さんも私もコメンテータとして出演していましたが、一度も同じ週になったことがなかったので、いつか同じ日の出演になったら「私たち親戚ですって言おうね」などとおっしゃってましたっけ。
イー・ウーマンを設立でも円卓会議の議長として登場してくださったり、国際女性ビジネス会議にご登壇くださったり、いつも温かく応援してくださいました。
彼は、長野県東御市の千曲川を見下ろす高台で、何もない荒れ果てた山を見た時、「ここはフランスのブドウ畑のような美しい景色になる場所だな。ブドウを植えて、ワインを造ってみよう」と、直感的に決めた、ということです。45歳の彼は、水すら通っていない過酷な山を10年くらいかけて、自分の手で山を切り開き、土地を耕し、お水を引いてくるという開拓を続け、ヴィラデストワイナリーを作ったのです。
私は、ヴィラデストの立ち上げの時のファウンディングメンバーとなり、母と私の名前でブドウの木と、メンバープレートに名前を刻んでもらいました。母がとても嬉しそうでした。
たくさんの思い出がありすぎて、実は、「対談」もしているのですが、まだ公開していなかったので、玉村さんのことはこれから少しずつ書こうと思います。
昨年2025年9月には、娘を連れてヴィラデストを訪れたのですが、その時に久しぶりに会った娘に、「大きくなったねー」と言いながら、玉村さんは1時間くらい、ご自身の生い立ちや人生観を話してくださいました。とてもとても貴重な時間、話の内容でした。
私は、先月、7月5日に、お会いしたのが最後でした。
とても体調が悪いと知っていましたが、私と会った時は、アメリカの野球 MLBを観ていたかな。そして笑顔で、いつもと変わらないような元気な声で、楽しい会話をしてくださいました。
ちょっと、書ききれません。
私の家中に、玉村さんの絵がたくさんあります。これからも私の生活を素敵に彩ってくれます。
玉村さんとの対談などは、今度、何かの形にまとめて発表したいと思います。とても大切な方でした。
心からお悔やみを申し上げます。本当に、本当に、ありがとうございました。
今頃天国で、玉村さんが、私の両親や親戚と、ワインを飲みながら、リラックスしてくださっていることを祈ります。
そして玉村さんが素敵な人でい続けられたのは、パートナーの抄恵子さんの存在があったからです。私の憧れの女性でもある抄恵子さんが、これからも笑顔でいてくださることを心から願います。もちろんヴィラデストが、これからも人が集まり、楽しみ、心が休まる場所であり続けますように。
大好きな玉村さんへ。










