2019年10月03日

プレジデントWOMANに、掲載していただきました !

嬉しいことに「母の肖像」というカラー3ページの特集で、プレジデントWOMANに、掲載していただきました。母の美しい写真とともに、エピソードがいくつか紹介されています。
私の母は・・・
fullsizeoutput_5fab
とにかく元気な、前向きな人でした。
そして美しく、楽しい人でした。

私が小学生の頃、洋裁の仕事をしていましたが、足踏みミシンを使って、それはそれは、丁寧に細かい仕事をしていました。洋裁学校の先生が、自分の仕事は母に頼むというほどでしたから、1ミリもずれないという、凄すぎるわざと、どんなデザインでも型紙を作る技能、そして、与えられた生地の組み合わせ、デザイン、裁断の仕方など、彼女以上の知恵と工夫と技術を持つ人を知らないというくらい、すごい腕前でした。
私はデザインが好きだったので、二人でVOGUEをみて、私がデザイン画を描き、母と相談して詳細を決め、その後母が型紙を作り、安い生地を買ってきて、それを母が縫う。私の服は二人でたくさん作りました。大学卒業の時のドレスも、母と私の合作でした。
私が母のように洋裁もしようと、ある時コートを縫うと、翌朝解かれてる、なんてこともありました。理由を聞くと、途中一ヶ所、1ミリほどずれているとのこと。・・それ以来私は、洋裁をしなくなりました(笑)。

ラジオが大好きで、そして、いつもミシンの近くにラジオが。
TBSラジオをずーっと聴いてました。吉田拓郎の「結婚しようよ」がかかっていると嬉しそうに聴いていたっけ。今、この曲を聴くと、私が母の洋裁シーンを思い出すほどです。

ダンスも上手な母でした。
40代になってから、突然自動車運転免許を取りに行ったり、多分50-60代になってから、当時のワープロの使い方を学習したり、といろいろ学習もしていましが、「歌手の後ろで踊るダンサーになるのが夢だったのよねー」と言っていた母。40-50代から、ダンスクラスに通い始めました。

最初は社交ダンス。その後は、フラメンコ、エアロビクス・・いろいろ習っていたみたい。「シニアビクス」のビデオには、母がレオタード?で出演しているものもあります(笑)。社交ダンスやフラメンコは、もちろん衣装を手作りして楽しんでいました。

ある時は、横浜の自宅から近い元町近くのダンスクラスに行ったまま帰宅せず、終電もなくなり、私がドアのところで心配して待っていると、夜中の2時ごろ帰宅。「どこに行っていたの?心配したじゃない」と聞くと「みんなで新橋まで踊りに行っちゃったのー」と。親子逆転状態(笑)。でも、私が知る限り、彼女の人生で、「楽しんだ夜」は、その一夜限り。

あとは、家計を支えるためにも、家族のためにも、たくさん我慢し、たくさん働いた母でした。彼女が座っている姿をみたことがありません。休んでいることもありませんでした。
でもいつも笑顔。
いつも前向きな発想でした。
語りつくせない思い出の数々。
また、書かせてください。

今は、老人ホームにいますが、声も出ないし、動けないし、会話ができない。
目を開ける時間も短くなりました。
私が話したり、歌ったりすると、目を開け、私を見つめたり、涙を流したりします。
もっともっと話したかったなーと、毎週思うのです。

実は、明日、10月4日は、母の90歳の誕生日。
とても嬉しく、とても感謝しています。

・・・とっても、とっても嬉しい取材でした。
ありがとうございました。みなさんもぜひ読んでくださいませ。
IMG_1308fullsizeoutput_7c72

Posted by kaorisasaki1 at 09:16│Comments(0)