仕事だけをしている人
仕事仲間を見渡した時、「生活」の責任者なのかどうかで、ずいぶん仕事に使える時間が違うだろうと感じることがあります……▼
たとえば「働く父親」たちは、家事や育児を「手伝う」という表現をします。この言葉自体が、すでに、主たる責任者でないことを意味しています。自分の仕事に好きなだけ没頭して、お客様や知人と飲んだり食べたりも好きなようにして、週末も好きな時に起きて、自分の身の回りのことをして、「さ、キャッチボールでもするか」などと子供に声をかける。これは、簡単です。お客さんのようなものです。
働く母親は、自分の重要なプレゼン前日であっても子どもが熱を出せば徹夜で看病します。ボロボロになって帰宅しても、夕食を定時に作り、そのまま子どもの学校の話しを聞き、学校からのプリントを読み、宿題をみて、本を読み、お風呂に入れ、寝かせます。それも21時くらいまでに。
女性と男性、と書いたのは、ステレオタイプな表現で、実際は、逆の人もいるだろうし、2人が主であるという素敵な夫婦もいるかもしれません。しかしどちらにせよ、育児や介護などの「責任」を取りながら仕事をする女性たちは、男性より時間が少ないに決まっています。男性の働き方に変化が起き、女性も男性も、自分の生活と自分の仕事、両方の体験を積んでいくことになればいいなあ。
Posted by kaorisasaki1 at 23:47│
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佐々木さんのご意見、働いている女性でないとなかなか気がつかないことだと思います。
仕事の責任は新入社員の頃から言われますが、家庭をもつと知らぬまに「生活の責任者」になっているんですよね。
だから女性(男性)は損だということではなく、バランスよく経験していけたら、もっと楽しく生きていけるかもしれませんね。
男性は子育ての主たる責任者ではないと思います。原始時代から外で収穫して、待ってくれている女性に届けるのが主たる責任。子育ての主たる責任が女性であることは極めて生理的で自然な事だと思います。
佐々木さんのご意見、ほんとうに共感いたします。いつかどこかで取り上げてほしいなと思っていたことでもあります。しかしこの問題、どう取りあげどうして欲しいのか、長いことずっと自分の中でもまとまらずにいます。一昔前に比べれば、働く女性を応援してくれる制度が整ったといえるのかもしれませんが、実際の毎日の生活はどうでしょう、伴侶である夫の意識、父母/義父母の意識、職場で専業主婦をもつ上司同僚の意識、そして当事者である有職主婦(働く女性)そのものの意識は奥底では30-50年前とはあまり変わらないように思えることもあります。地方出身、直接の育児を助けてもらえない夫婦でこれまで子育てを続けてきました。子どもへしわ寄せがいかないように自重しながら毎日元気に健康に明るく過ごすことを心がけるのが、今の私の毎日です。
わたしもずっと佐々木さんがおっしゃる通りと思っています。
それに、子育てしながら働く母にもいろいろあって、身近に親がいたり、夫が融通のきく仕事だったりの人もいれば、近くに親戚もなく、夫も不在がちで全て自分でしている人もいて、一言で働く母といっても仕事にかけられる時間はちがいます。でもまだそれを気づいていないひとが多いと思います。言葉だけではなく、実際に理解してくれる人が増えると良いと思います。