虐待されている子供を救う方法はないのか
5人の子供がいた、というこの家庭のニュースほど、今の日本の制度の……▼
問題点を浮き彫りにしているものはないのではないでしょうか。長女は生後3ヶ月で死亡。長男は、2歳の時に虐待され、その時親は逮捕され親権を喪失しているそうです。次女と次男は、小学校に通っていましたが、平均的な体格に育っていない状態(今回保護されました)。三男3歳が、今回虐待死。
なぜ、この家庭は、子供をつくり続けたのかも疑問ですが、小学校で子供たちの様子をみていると、通報や相談だけでなく、保護をすることが適切にも思えるわけですが、今の法律では難しいのでしょうか。親権を喪失している親が他の子供を育てている場合は、一般の法律より強制力の強い法律があてられる、というようなことはできないものでしょうか。
一時保護も考えられますが、戻された子供の身には、以前よりひどい虐待が待っているかもしれません。児童虐待防止法や、その改正ポイントについては、様々な方が熱心に取り組まれているわけですので、ちょっと勉強しようと思ってインターネットで調べても、簡単にはその概要がつかめません。法律が複雑に絡まっていて、とても奥が深いようにも思えます。私も勉強を続けていきますが、どちらにせよ、法律はしっかり整備しながらも、これは、町ぐるみで、学校なども含めてサポートできるようにするために、その運用方法は、簡単な文章にまとめられ、発表があり、多くの人が参加できることが大切なのでしょう。
今、この瞬間も虐待されている子供たちがいると思うと、今私たちがすぐに取れるアクションを教えて欲しい、と思う気持ちでいっぱいです。
Posted by kaorisasaki1 at 10:03│
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東北地方も梅雨が明けたようだ。
世間は胸が痛むニュースであふれている。
そんな中で「傘がない」と歌っていたい世代ではあるが、泉崎村での虐待死について、もう一度考えておきたい。
Excite エキサイト : 社会ニュース
福島民報にも保護された子どもの話が掲載され...
もっと速やかに一時保護してほしかった。。。。【会津のはてから。】at 2006年08月03日 02:58
どうしてこんなに、児童虐待が多いんですか??
母親が、お腹を痛めて産んだ子どもじゃないですか!!
それが、望まない妊娠でも・・・一度産むと決めた子どもじゃないですか。
どんな思いで、死んでいったのか・・・考えて欲しいです。
ブログ管理者殿
8/1のブログで下記時間に投稿したものですがブログのシステムをよく知らず、うっかりメールアドレスを載せてしまいました。以降迷惑メールが大量に来るため、大変申し訳ありませんが、コメントはそのままでメールアドレスのみ削除していただくことは可能でしょうか。もし不可能であればコメント自体も削除いただいても結構です。
また、併せて本コメントも削除お願いいたします。
お手数かけますが、以降留意いたしますのでよろしくお願いいたします。
Posted by happydays at 2006年08月05日 09:19
世間と家族を気温と水の性質に例えてお話された方がいらっしゃいました。
(虐待)表に表れている氷は氷山の一角。その氷山も水面下はとても大きい。それだけではなく、氷山は気温によって水(問題のない家族)が増えたり減ったりする。気温は温まると水が増え、冷えると氷が増える。
私はその温かな気温をご近所で話し合える地域ネットワークと解釈しました。
[Part 5]
『08/06掲載のいでさん』のコメント、私も同感です。子供の人権を社会が認めていく事からスタートしなければいけないのかもしれません。『子供は親の付属物』という考え方が、まだ社会の潜在意識にあるのではないでしょうか?子供だって、一人間として生まれてきた人格を持つ個人なのです。
佐々木さんへ
書き込みPart5までして、大変恐縮です。書き込みの字数もう少し多いければ幸いです。
[Part 4]
最近の虐待事件で報道されていた―他のの2人の子供達は、年齢平均体重の半分しかないぐらいやせ細っていた―
この2人の子供達が通っていた小学校や幼稚園の先生達は、「何かがおかしい?」と思わなかったのでしょうか?恐らく気付いてはいたけど、何もする事ができない、あるいは関わりたくないという気持ちがあったのでしょう。
むごいやり方で子供を殺しておきながら、禁固3年などと窃盗犯並みの軽い刑では済まないはずです。こちらでは、終身刑が一般的です。死刑の判例もあります。やっとの思いで生まれてきて、楽しみも親の温かみも感じることなく、虫けらのように殺されていった小さな子供達が不憫でなりません。彼らの親は一生かけて償い、親としての資格、社会人としての資格は剥奪されるべきです。人の命、ましてや自分の子の命を奪う鬼畜に、更正への情けなど無用です。
[Part 3]
子供を置いて、ちょっと近所のコンビニへ買い物…などとんでもない事です。それぐらい子供達は守られています。
冬場の日本でよく聞く「留守番中の兄弟、火遊びで焼死」という、毎年繰り返される痛ましい事故の数々も、「12歳未満の子供をひとりにしてはいけない法律」で防げるはずです。
いつになったら、日本の社会、日本の親達はこの当たり前の常識に気付くのでしょうか?
日本でも早く、周囲の人達が子供達やその親の異常を、即座にかつ簡単に通報できる社会システムが確率できる事を祈っています。また、今後さらなる児童虐待の法的罰則強化も期待しています。
[Part 2]
ここアメリカでは、12歳未満の子供をひとりにする事は法律で固く禁じられています。自宅でさえも、子供をひとりにする事は違法です。万が一、それが発覚した時、簡単に親権を失ってしまいます。(一生涯あるいはかなりの長期間)さらに最悪な場合、刑務所行きという事もあります。
事実、つい3ヶ月ほど前にロサンゼルスで、12歳未満の兄弟2人を自宅に置いて、夫婦二人でラスベガスへ旅行に行ってしまった両親が、近所の人の通報で逮捕されました。この両親は当然、刑務所行きです。報道も大々的にされていました。親権は剥奪され、子供達は里親へ預けられるでしょう。
[Part 1]
初めまして。ロサンゼルス在住の4歳男児の母親です。今、アメリカで子育てをして、日米の児童虐待における法的、社会的な問題点に大きな溝を感じてなりません。
日米における虐待問題で最も大きな違いは、虐待の報告件数に対して虐待による児童の死亡率の割合高さです。
アメリカでは2004年児童虐待報告が全米で11万件あったのに対し死亡報告は約1,400人の0.01%に満たない数値です。
一方、日本で最近発表された報告によると、検挙件数1,087件(虐待報告総数は?)に対して死亡報告が28人の0.03%と3倍の数値です。何がこの違いを生じさせているのかは明らかです。
まず、虐待がエスカレートして死に至るまで未然に防ぐシステムが、社会的にも法律的にもまだ確立されていないという点ではないでしょうか?
個人的な意見ですが。
日本では、特に子供の人権をあまり重要視しない側面があるように思います。
ニート・フリーターなども同じような理由だと思うのですが、子供は、親の支配の下にあるので、自立や人権といったものが低いレベルに抑えられているように思います。
一方で親の権利に関しては、過剰なほどあるように思います。うら覚えですが、子供が親を殺害した場合は、かなりの刑罰を受けるようですが、反対の場合は、かなり軽くすむようですね。
子供といっても、小学生ぐらいになるとかなりの事を理解できるようになり、へたな大人より理解力ある子供もいます。日本でも子供の人権を上げる必要性がでてきているのでは、ないでしょうか。
精神的な虐待から連鎖が起こっていくような気がしています。弱いもの弱いものへ虐待がエスカレートしていく。
DVが始まりかもしれないし、上司から部下かも知れないし、ひどい被害を受けるのは弱いものなのかも。
虐待された子どもは子どもの愛し方がわからずに虐待してしまうのかも。
最近感じるのは自分のことしか考えられない人が多く、他人のことを想像する力が失われている気がします。自分がきつい事を言った時は平気なのに同じ事を言われてやっとその人の気持ちが気づけるとか、気づける人はまだ良くて、それはそれで、自分のは違うとか
大人も子どもも社会全体が他人を思いやる気持ちを持てると変わるのかななどと考えています。
ジョン・レノンのイマジンの気持ちが世界に広がるといいのにと虐待や戦争があると思ってしまうこの頃です。
死に追いやることだけが、虐待ではないと思います。精神的にダメージを与える、もっとも陰湿なやり方が日本では、通常行われているのでは、ないでしょうか。そういうことを平気でできる大人の生息する環境には、虐めという環境が、日常、当たり前なのだと思います。意識、無意識に虐待をしてしまうのかもしれません。
強いものが、弱いものを守る、大人として、親として、どう、正しく、子供に接すればいいのか、という根本を、環境において学んでいないものが、加害者となるのでしょう。
人間の心の教育こそ、今の日本が真剣に考えなくてはいけない問題だと思います。
拙速に効果を求め、余裕のない社会を感じる今、最小単位の社会である家庭も余裕がないのではないでしょうか。
児童精神科医の佐々木正美氏の著書「子どもへのまなざし」の中に『「いつから上手にできるかな。楽しみにまっているからね、自分で決めればいいんだよ」こういうゆったりした気持ちでみていてあげるのがいい。。』とあり、自分はこの言葉を思い出すたび本当に救われます。
子育ての本としてよみましたが、親(自分)育ての本とも思っています。
インフラ整備も大事ですが、こういう気持ちをもってお互いに伝えていくのも大事ではないでしょうか。
佐々木さんにも是非読んでいただければと思います。
子供が小学生の時、クラスの両親が児童虐待で逮捕されました。子供も時々その子の生活態度がおかしいと言った話もしておりました。クラスの先生も気づいていたようでしたが、何もしませんでした。逮捕のきっかけは、こどもが夜外にいて、近所の人が声をかけると、「家に帰りたくない」という反応から、警察などが動き逮捕に繋がりました。
この経験から、虐待があっていそうだと感じながら、何もしない大人のなんと多いことかということです。法律うんぬんも大切ですが、今そこで苦しんでいる子を、見放さないだけの強さが必要なのだと思います。
たびたびすみません、やはり子どものいる者として、なんとかならないものかという気持ちでいっぱいなもので……これで最後です m(_ _)m
なお、ご存知かと思いますが、4年前に成立した児童虐待防止法では、児童虐待をみつけた人には、そのことを通告する「義務」があります。
このための身近な窓口を確認しておくことが私たちには必要ということになるでしょう。
参考になりそうなページがありまして、もうご覧かもしれませんがURLに張っておきましたのでご確認下さい。子どもの虐待防止センターへのリンクもあります。
文字数制限にひっかかってしまいましたので、つづきを。
佐々木さんが、子だくさんの理由が分からないと書かれた(レイプの可能性を思いつかなかった)ことを責めているわけじゃないですよ。私も辛さんの指摘に触れるまで気づきませんでした。それで、こちらでもこの話を紹介させていただきました。
DVや虐待といった家庭内の暴力に対して、それをその加害者のせいにだけするのは片手落ちで、家庭のなかで解決できるようなものではないのだから、即効性のある周りの援助が必要不可欠なのは、7月18日「母親だけが悪いのか」でもコメントした通りです。そちらのコメントではtarshuさんが児童虐待について書籍も紹介されていますし、本などから学ぶという手もあります。
法律その他のきまりや支援機関などの整備とその理解も大事ですが、こういった想像力もあわせもたなくては、と改めて自戒しています。
> なぜ、この家庭は、子供をつくり続けたのか
レイプの可能性が高いでしょう。子どもに虐待が加えられるような家庭の夫婦に、相手を思いやった対等な性交渉があると考えるのは困難です。
rinboさんの職場(他者の痛みに対する意識の高い方が多いのですね)で、DVの可能性が話題になったのもさもありなんです。いうまでもないことですが、夫婦間レイプもDVのひとつです。
手元にいま原文がないのでうろ覚えですが、辛淑玉さんが、公務員さん?など行政に携わる人の講習で講師をなさったとき、
「貧乏子だくさん」
という言葉からイメージされるものを受講者にたずねたところ、幸せな、もしくはせいぜい、あとで思い出話になる程度の苦労、といったものしか示されず、
「夫婦間レイプを思いついた人がひとりもいなかった、行政に関わるものがその程度の想像力しかなくて、DVや虐待に苦しむ妻や子どもを救えるのか」
と、いかっておられました。
私の職場でもこの虐待事件のことが話題になりました。
そして、虐待の影に妻(母親)に対するドメスティック・バイオレンスもあったのではないかという話になりました。
「母親なのに子どもを守れなかったのか。」と言われかねない日本社会。ドメスティック・バイオレンスがあれば、子どもを守ることは難しい。それを報道してほしいという意見がありました。
本当に悲しい出来事です。私達大人が、間違った子育てをしてしまったのでしょうか?
間違った食生活もしているのではないでしょうか?お肉中心ですと 獰猛になると思います
私達が出来る事は、食事の立て直しからかも知れませんね
本当にその通りです。今日も学生の前で話を致しましたが、人として選べない物は「親のみ」今は性別でさえ選べるのであるから・・と話しました。今回の事件は人としての人格を問うべき事柄ですね。
同じ思いをして、痛みを理解させたいですね。