日本兵
ミンダナオ島で旧日本兵が見つかったというニュースに……▼
驚き、朝食をとりながら子供とも話をしました。山中で40人ほどで生活をしていたなどといった報道もあります。以前の横井さんや小野田さんの時は、終戦を知らなかったり、「命令が解除されていないから」という理由であったかと思いますが、今回は、どういうことなのでしょうか。こんなに長い間知られずに生活していた、ということなのでしょうか。追加報道が気になります。
Posted by kaorisasaki1 at 08:51│
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まだ、こんな問題が残っていたとは... 社会復帰が大変そうだけれど、実はもっと他にも同じような境遇の人がいるのではないだろうか? 『さらに数人の情報も 保護、帰国を熱望 【マニラ=鈴木裕一、大地山隆】フィリピン・ミンダナオ島で、旧日本...
「旧日本兵2人 比で生存」ミンダナオ島 引き揚げできず山岳に【情報一番搾り - FNB2005】at 2005年05月27日 10:11
フィリピン・ミンダナオ島で、旧日本陸軍の兵士が、比・国家捜査局によって保護されたというニュース、驚きのできごとである。第二次世界大戦後60年、小野田さんの生還帰国は今から31年前のことらしいが、他にもまだ40人ほどが、現在も山中に暮らしているという。終戦は知り
旧日本兵生存【EDU*Japan Report】at 2005年05月27日 21:15
つみ深いどころか
ほぼ捏造ですよ
びっくりさせておいて、実はそうじゃなかったなんて
罪深い報道でした
嘘だったみたいですね。
このニュースにはびっくりしましたが、彼らは80代で高齢だ。ある部族に守られてここまで生活してきたような記事もあるが、もしそれが本当ならば感謝したいと思う。気候的にも大変な土地だ。日本へ帰国出来ることを望むが、後の彼らの生活支援についてどうしたら良いかわからない。
彼らの家族も逃げないで家族として受け入れて欲しいが、家族がすでにいない方もいるだろうし、拒否するものもいると考えられる。
戦後60年などといっている場合でないことだけは確かだ。
旧日本兵がみつかったのは、
1972年のグアム島でみつかった横井庄一さん、
1974年のフィリピン、ルバング島でみつかった
小野田寛郎さんの場合が過去にもあった。
彼らは、終戦をきちんと知らされなかった、
上官からの任務解除命令が下っていなかった
という経緯があったと思う。
今回の二人は、どうなのだろうか?
情報がその後に途絶えているので心配だ。
ご高齢というのもある。
生きていらっしゃるというのが事実なら
早く帰国できるといいのだが・・・
普通に生活していたようですし、知らなかったわけではないのでしょうね。
横浜に住む、在日三世の華僑(45才)です。日本陸軍と聞いて思い出す言葉は、僕の場合「玉砕」しかありません。不思議というか、摩訶不思議ですね!生きる強さを感じたニュースでした。これからの新しい日本と中国の関係を考えてみたいな、とマジで思いました。
私もこのニュースを見てとても驚きました。会社の誰かとこのことについて話たいと思いつつ、誰とも話すことなく家に帰り、佐々木さんが書かれているのを見てついコメントしてしまいました。
上官の命令がなければ日本に帰らないとしても、上官はとっくに亡くなっている可能性が高いですから、どうなるんだろうととても心配になります。