今夜、堺屋太一さんのお通夜に出席してきました。
いまだに信じられず、堺屋さんの話し声が聞こえてくるようです。
喪主の奥様とも、何年もの間、何回もお食事などでご一緒してきました。その奥様が、突然のことに深く悲しまれている様子、立っているのも辛そうな様子が伝わってきて、心が痛みました。
思い出、たくさんあります
堺屋さんは、毎年弊社のクリスマスパーティにいらしてくださっていましたが、昨年の12月にも元気にいらっしゃって、
「2025年に2回目の万国博覧会に開かれる事が決定致しました。2025年には私も90歳になりますけれども、前は36歳で前の万国博覧会をやったのです」
などと話されていて、画家の奥様の話や、愛住美術館での万国博覧会展覧会の話をされ、クリスマスパーティで、私たちがいつもゴスペルを歌うので、「毎年、このゴスペル大会を楽しみにしている」と笑いをとったあと、
「こないだイタリアに行きましたら、ゴスペル大会がたくさんありまして、そこのステージじゃないかと思いました。是非、大阪の万国博覧会に皆様のご出場をお願い致します。前回はサミー・デイビスJr.、その次がね、マレーネ・デットヒートだったの。それはね向こうからタダで出演してくれたんです。まあそういう万国博覧会ですので、是非ご出演いただけたらと思います。そして同時にやっぱりね、女性大会。世界女性会議(国際女性ビジネス会議)を開いて頂きたいと思っております」
などと、2025年の万博で私たちにゴスペルを歌ってほしい!などとおっしゃいました!
その後、パーティプレゼントとして、地上最大の万国博覧会を一冊ご提供頂きました。「この、地上最大の行事万国博覧会、を是非2025年までに読んでください」と。
さらに1年前の2017年12月のクリスマスパーティでは、
「皆さん、こんばんは。今年はなかなか大変な年でございましたけれども、来年はいい年になりますように。あの、私もかなり年をとりまして、ひょっとしたら来年手術かと思ったら無罪放免でございまして、来年は皆さんと楽しくやりたい。この日本は私の近著(『団塊の後 三度目の日本』)でございますけれども、三度目の日本を向かえました。
一度目の日本は明治維新にできた明治の日本。これは終戦で終わりました。その後は戦後の日本。これは今終わろうとしてます。おそらく2020年で終わるんではないかと。そしてその後、3度目の日本を作らなきゃいけない。
一度目の日本は、強い日本を目指して、「富国強兵」をキャッチフレーズにしました。二度目の日本は豊かな日本を目指して「高度成長」をキャッチフレーズにして大量生産の日本を作りました。これから始まる三度目の日本は、楽しい日本を作ろうというのは私のポリシーでございます。
なんとか皆さんで楽しい日本を作ろうと思っております。で、そのきっかけとして2025年にもう一回万国博覧会を。1970年の博覧会は私共がやったんでございますけれども、あれはまあ結構、成功致しまして6400万人の入場者がありました。ちなみに言うとオリンピックは680万人ですので10倍の入場者がありました。まあ規模もそれですごく儲かりました。万国博覧会は金がかかるかかるというけれども本当は当時のお金で192億円。国家予算が8兆円の時代ですから、今でいうと2000億位儲かったという事です。それでまあ万国博覧会をやったら言うて。
今度はやっぱり「楽しい日本」を作ろうとコンセプトにこれからの日本を作ろうと思います。是非皆さんも楽しい日本を作るようにごご尽力ご協力、そして自らも楽しんで頂ければありがたいと、よろしくお願い致します」
知識がある方、頭の良い方、記憶力のある方は、たくさんいらっしゃいます。しかし堺屋さんは、それに加えて、未来を作るクリエイティビティがあり、毎日自転車に乗るような行動的なところもあり、女子プロセスを応援したり、ゴスペルに手拍子打ちながら楽しむような、チャーミングなところもあり、楽しい方で、そして、私のような者にも丁寧に丁寧に接してくださり、様々気を使ってくださる優しさがあり、謙虚な方でした。こんな方は、お会いしたことがありません。本当に、たくさんを教えていただきました。どんな日も、毎晩、30分間は、立ったまま読書をしているとおっしゃっていたのも印象的でした。
堺屋さんのメッセージを受け継いで、「楽しい日本」づくり、進めていきたいと思います。
堺屋さん、本当に、本当にありがとうございました。
次回の食事会にも、出席してくださるような、話しかけてくださるような気分です。
思い出はつきませんが、教えを思い出し、「楽しい日本」をつくります。ありがとうございました。
2017年12月
Posted by kaorisasaki1 at
23:33
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