仕事って何だろうか
私がアルバイトとして働き始めたのは15歳のとき。……▼
とにかく社会の常識を全く知らない高校1年生が、お小遣いを稼ぐために働き始めたのです。それからずっと働き続けてきて思うことは、私にとって、仕事をするというのは、自分を成長させることに他ならないということ。
行動や発言で失敗すれば、そこから学び、本を読めば、それを実行に移してためし、同じことも時間を変えたり相手を変えて実験し…。働くことで、人との関係や、自分のできる仕事の能力や分量を高めていくことになったんだと思う。
怒りや悲しみを感じたときも、私のいいところは(笑)、その直後からものすごく客観的に出来事を見て、自分が数秒前まで反対していた意見に対しても、相手の言っていたことを再考し、何か取り入れて学ぶこと。
喜んでもらったり、笑顔をもらったときは、その人に更に喜んでもらうために行動すること。
仕事をしていると、その人の本質が良く見えるのです。どんな取り組みをするか。優先順位はどうか。仕事と仕事の合間に何をしているか。誰とどんな話をしているか。ごまかそうとするか、誠実か。だから、私も自分の本質を日々磨くために、社会という場で、仕事という環境を活用しているように思います。
Posted by kaorisasaki1 at 05:06│
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今、佐々木さんのブログの存在を知ってしまいました!ユニカルを創業(?)されたころに、2ヶ月弱だけですが、アルバイトさせていただいたのを今でも覚えています。大学4年の夏でした。社会人になる前に佐々木さんにいろいろと社会で働くということについていろいろときびし〜く教えていただいたな、と思っています。
今は育児にドップリの生活で、仕事をすることが物理的にできないのですが、みなさんのコメントを読ませていただいて、家庭だけを守ることも重要だけど、外で仕事をすることの自分にとっての素晴らしさも身にしみました。
今できることに最善をつくしながら、子供がもう少し手を離れるようになったころ、自分で仕事ができるように心構えだけでもしていたいな、と思います。勉強は常にしていたいなと思います!
Mittoさんからの同感というコメント、嬉しいです。そして、「これではいけないと思い、方法論を身に着けるべく勉強を始めることにしました。」という部分から、『希望のしくみ』(養老孟司ほか)の一節、「いまの教育の場では、方法倫を教えないということです。」を思い出しました。しかし、これは教育現場に限らず、成果主義・合理主義の進んだ現代の多くの仕事場にも当てはまるような気がします。
また、皆さんのご意見にある「仕事が自分を成長させてくれる環境」という部分からは、『状況に埋め込まれた学習』(ジーン・レイブほか)を思い出しました。昨年、私は留学生の異文化適応プロセスについて、ケーススタディとして修士論文を書いたばかりです。忘れかけていましたが(笑)、その結論の一部を紹介させていただくと、「対象者の異文化適応を促進した要因は、仕事(アルバイト)領域における何回かの問題克服体験と、その際サポートを受けた人との信頼関係によって形成された、質的に充実した個人ネットワークの存在である。」というものでした。しかし、日本社会には様々な異文化が存在しているわけで、日本人にも同様の現象が見られるのではないかと思いました。皆さんのコメントから、今更ながら再考する機会を得られました。有難うございます。ちなみに私自身は、実社会の経験不足を、本からの知識で補おうともがいている未熟者です。
マダムトモコさん、がんばって!
私も、これから子どもを持つかもしれない身として、今はいろいろな人の色々な経験談を糧にしていこうと思っていて、がんばっている人のお話にはすごく興味があります。
大変そうだけれど、そういう先人がいらっしゃると思うだけで、これから同じような境遇を迎える私たちにはとても励みになる部分もあります。
ewomanに沢山投稿して時には言いたいことも言って(?!)、私たちに色々教えて下さい☆
takaさんのお話感慨深いものがありました。
私は働くことが大好きで
社会に触れていないと
酸素ボンベのない水槽にいるような
息苦しい疎外感を感じてしまうのです。
しかし、私も9歳と3歳の息子たちの母親
やりがいのある仕事ってなかなかさせていただけない
のが現状です。
雇うほうの気持ちもわからないでもないです。
派遣登録もしていたのですが
やはりtakaさんのような状態でした。
しかし、一昨年の9月より起業をしました。
きっかけは些細なことだったのですが
やりがいもあるし、
時間管理も裁量でできます。
50代後半の母とともに創めましたが
母の更年期障害も治ってしまいました。
まだまだ金銭的に豊かになるのは先かな
という感じですが、
やりがいだけはほんとうにある、
だけどサボった分だけ自分に帰ってくる厳しさもあります。
私も初めて働いたのはお小遣いのためのアルバイトだったけど、
歳をかさねて経験をつむことで
働くことは自己実現に変化してきた気がします。
いまは小学校の冬休みが長かったので
自分に跳ね返っている最中です。
厳しいです。
「こずちさん」のご意見に同感です。
私も社会への第一歩を踏み出したのは、15歳にはじめたアルバイトでした。それから十数年働いてきましたが、上司に与えられた業務をマニュアル通りにこなしてきた日々でした。仕事に対してどう取り組むかという哲学が欠乏している自分だったと気づいた最近は、理想論はあっても方法論が無く空回りしている毎日です。
これではいけないと思い、方法論を身に着けるべく勉強を始めることにしました。この空回りを乗り越えることができるならば、人間として成長できると信じたいし、年老いたときに仕事を続けてきて良かったと思いたいです。
4月からの、産休後の再就職に向けて就職活動を始めたところです。今日は久しぶりに、数社目の派遣会社に登録に行きました。希望職種を聞かれて自分の経験の棚卸しをしながら一応答えてはいるものの、子供がいるので残業はできず、選択枝は狭くなりそうです。「やりがいのある仕事は難しいのかな、でもやりがいのあるないってどこで線をひくんだろう。私は何がしたいのかなあ。仕事とはなんだろう。」と自問自答していました。タイムリーに佐々木さんの今日のタイトルが同じで驚きました。佐々木さん、その他の方のコメントを読み、カツを入れて頂きました。どんな仕事であろうと学ぶことがあるんだから、とにかく求められているところへ出ていこう!と思いました。
私も15才から働き始めました。父を早く亡くしたこともあったのですが、結果として今日これまでさまざまな仕事をその年齢なりに関りながらきたことが今の仕事のすべての基礎になっているとこの歳になってつくづく思います。若い日、仕事で出会ったある方が、どんな仕事でも「仕事」を続けなさい。とアドバイスしてくださいました。その言葉を心の片隅に、いろいろな仕事に関りましたが今関っているのは39才のとき始めたの仕事です。かれこれ16年あまり。(歳がばれてしまった!)仕事はいつ始めても遅くないし、自分を成長させてくれるものだと思います。そのたびに自分を客観的に見つめさせ、自分がどん底にあったときも救ってくれたのも「仕事」でした。子どもが成長した今、仕事を続けていて心からよかった思います。
仕事本当に素晴らしい
佐々木さんのように大きな仕事は出来ないけれど現在までどれだけの人に支えられたことか、今思うとこれからも元気で仕事につける自分がいる。生涯現役を目指して、楽しいこと辛いこともある仕事だから社会に還元できるよう未熟ながら頑張りたい。
まさに仕事・社会が自分を成長させてくれるという事は、私本人はもちろん、18歳の息子を見ても痛感させられます。8歳〜シングルで育て、やんちゃな折、途中何度も母親として自信を失いながら、現在に至ります。今は音楽を仕事に出来る様、仕事・スタジオと両方頑張っています。彼の変化には、職場の人との関わりが大きく影響していると感じます。学校では落ちこぼれでも、暖かく指導してくれる社会の人達にとても感謝をしています。
今日の「怒りや悲しみを感じたときも、その直後からものすごく客観的に出来事を見て、自分が数秒前まで反対していた意見に対しても、相手の言っていたことを再考し、何か取り入れて学ぶこと。」という部分、そして1月15日の「人は考えることを選べる力がある。」という部分、もっと早く出会えていたらと思いました。様々な人と接する中には、自分の常識では理解不能な言動に出くわすこともあります。そんな時、私は主観の塊(笑)になってしまい、何日も頭から怒りや悲しみなどが追い出せなくなってしまいます。つまり、自制心とか自己管理能力が未熟なのだと自覚しています。人によってそんな時の対処法は、運動、食事、お酒、愚痴るなど色々あるでしょうが、私も佐々木さんのような悟りの境地?に達することができるよう、自分を磨きたいと思いました。
佐々木さんが15才の頃から積み重ねて来られた社会での経験を、私は今年から始めの1歩を踏み出そうと決心したところです。今までは、家庭という小さな社会でだけ暮らしてきましたが、今度は仕事の場やもっと世間にでて学ぼうと思っています。イーウーマンにも積極的に参加させていただきたいな・・・と思っています。(年齢なんて気にしない!)